水色に浮かぶ













「あー。今日も疲れたね」



実技の終わった後にはそういうのが乱太郎のお決まりだ。
すると、ツーカーで、隣のきり丸が頷くのである。



「手裏剣投げすぎてへとへとだぜ」



そう言い、腕をだらりとたれ下げた。
ちらりとうつった手のひらは赤く、豆だらけ。

乱太郎は苦笑を返したのだった。

乱太郎ときり丸は忍術学園に入ったばかりの一年生だ。
まだ学園の中を把握できておらず、よく上級生に助けてもらっている。



「あれ? しんべヱは?」



きり丸が声を上げた。
つられて後ろを振り返った乱太郎は「あれ?」と声を上げた。
少し前までは後ろを歩いていたはずの友人が消えていた。
疲れていて、追いついていないことに気付かなかったのかもしれない。



「いつはぐれちゃったかな」



乱太郎が問いかけると、きり丸は肩をすくめた。



「後ろに気なんて配ってるわけないだろ」



自分のことで精一杯だ。
きり丸はそう言うと、乱太郎を見て目をぱちくりさせた。



「あれ。小松田さんじゃん」
「へ?」



きり丸の指さしている方向を振り返り、乱太郎は首を傾げた。



「本当だ、小松田さんだ。何をやっているんだろう」



いつものこの時間ならば、学園の門の前に立っているはずの事務員の小松田秀作が馬に勝る勢いでこちらに向かってきているではないか。
しかも、正面を見ずに、何故か斜め上を見上げながら。



「どうしたんですかー。小松田さーん」



乱太郎が大声で問いかけるも、小松田は上を向いたまま、不思議なことを言う。



「待ってー!サインを貰ってないよー!!」



・・・一体、何のことなのか。
さらに首をひねった乱太郎の袖を、きり丸が引っ張った。


「お、おい。あれ!」
「なに?」



きり丸が小松田の視線の先を指さす。
つられて建物の屋根を見た乱太郎は驚きに目を剥いた。

目の前の屋根の上を、人が走っていたのだ。
ものすごい速さだった。
猫のように身軽に、屋根から屋根へと飛びうつり、二人の頭上をも越えて行ってしまった。



「なんだありゃあ」
「なんだろう・・・」



そう言い合うきり丸と乱太郎を、小松田が追い抜かす。



「サインーーっ!」



その声すら遠のいてから、乱太郎はハッとした。



「あの方角って、学園長の庵があるよね」
「ああ」
「学園長って、昔は凄腕の忍者だったんだよね」
「俺たちが知っている限りでも、5回は刺客に狙われてたよな」
「・・・・・」
「・・・・・」



乱太郎がきり丸を見れば、きり丸も青い顔で乱太郎を見ていた。



「もしかして」



二人の声が重なる。



「学園長を狙った暗殺者!?」



大変だ。
大変だ!



「応援を呼ばなくちゃ!」
「だめだ。あの速さだぜ、遠回りしてたら間に合わない」



乱太郎を意見を却下したその口は、真剣にこう言った。



「俺たちでやっつけよう」
「えええっ!?」



乱太郎は大声を上げた。
しかし、きり丸は言う。



「だってあれだぜ? マニュアル小僧の小松田さんはサインをもらえたらドクタケ忍者さえ簡単に通しちゃうんだ。小松田さん一人に追わせている方が大変だ。それに、運の悪いことに近くに助けてくれそうな先輩もいないし、それに・・・」
「それに?」



問いかけたとたん、きり丸の目が銭に変わった。



「俺たちが暗殺者を倒したら、学園長からご褒美をもらえるかもしれないじゃん!」



・・・・そうなのである。
きり丸は銭に目がないのである。
そして、こうなってしまったきり丸を止めるすべは、乱太郎は持ち合わせていない。



「追うぞ乱太郎!」



言うが否や走り出したきり丸を追う以外に乱太郎の残された道はなかった。













「説明してもらいましょうか!」



乱太郎ときり丸が学園長の庵についたと同時、水を張ったような声が響いた。
それは二人の予想していた暗殺者像よりは若く、少年の声のようであったが、気にしている場合ではない。

学園長のピンチだ!

乱太郎ときり丸は大きく開かれたままの障子から中に突進した。



「大丈夫ですか、学園長先生!」
「危ない、入ってくるんじゃない!」



否、突進しようとした。
実際は、学園長の発した声と、耳元を走った何かに驚いて足を止めていた。

「どひゃ」という声を上げたのはきり丸で、つられるように乱太郎が後ろを振り返れば、庭に植えてある松の木にくないが刺さっているではないか。
高さや角度から考えるに、乱太郎の耳元を通り過ぎたものだろう。
まさに紙一重であった。



「ひいーーーーっ!!?」



恐怖に声を上げれば、暗殺者が二人を振り返った。
膝立ちに学園長の胸ぐらを掴んでいるその人は、綺麗な顔立ちの少年であった。

人気役者だといえば、誰もが信じそうな風貌。
高い位置で一つにまとめられている色素の薄い黒髪は、さらさらなふさが長かったり短かったりとバラバラで、一番長い房は畳に散らばっているほど。
それよりも驚くべきは少年の瞳の色であった。
雲一つない晴天のような水色の瞳だったのだ。

ぽかんと口を開いて立ちすくむ乱太郎ときり丸を見て、暗殺者は困惑の表情を浮かべた。
しかし、そこは忍者である。
その表情を一瞬で消し、「取り込み中だからまた後でね」と言うと、学園長に向きなおった。

ドスの利いた声が庵に響く。



「俺を任務に出したとき、先生はなんと仰いましたっけね?」



覚えていらっしゃいますか?と少年は問いかけ、学園長が口を開く前に息を吸うと。



『よいか、これは重要な任務じゃ。下総のわしの友人の元へ行き、大事なものを受け取るのじゃ。一刻を争う一大事! 今すぐ支度をして旅立つのじゃ!!』



なんとびっくり。
少年の口から、学園長の声が飛び出したではないか。
若い見た目になんとミスマッチ。

驚き見開く乱太郎ときり丸の前で、さらに少年の勢いは加速していく。



「せっぱ詰まった声でせかされてるものだからただ事じゃないと思って五日後に新学期を控えておきながら下総に向かったんですよ。下総まで! 片道何日かかったと思います? 一刻を争うらしいので何日も短縮して、普通に行った場合よりも八日前についたんですよ! 何度か呼吸になり駆けたか!」



騒ぎを聞きつけたのだろう。
遠くから無数の足音を聞こえてきた。
しかし、暗殺者は無頓着に相変わらず学園長の胸ぐらをゆすっている。



「それなのに、下総について学園長のご友人から手渡された『大切なもの』は将棋の駒一個、しかも、よりにもよって『歩』ときた!」



暗殺者は学園長から手を離すと、懐から何かを取り出し、学園長の足下に投げ落とした。
学園長の悲鳴が上がった。



「なんということを。この駒がないと将棋ができないから首を長くして待っておったというのに」
「うわー。罪悪感なんて欠片もないみたいですね」



駒に飛びつく学園長を斜めに見下ろしていた暗殺者は、腕を組むと、世にも恐ろしい表情と声で言った。



「俺の要求は三つ。遅れた分の授業時間の返上! および迷惑料の請求! 新しい制服の支給!!」



みんなと一緒に新学期を迎えられたはずなのに。
可愛い一年生たちの入学風景だって見れたはずなのに。

イライラと畳を踏みながら暗殺者の言った言葉に、乱太郎は「えっ」と声を出した。



「新しい制服、新学期・・。一年生の入学。もしかして、この人暗殺者じゃなくて先輩!?」



きり丸が、乱太郎の言葉を代弁するように、大声を上げた。

すると、乱太郎ときり丸の肩に誰かの手が乗ってきた。
驚いて飛び上がった二人だったが、それに反して肩を叩いた人の声は間延びしていた。



「ようやく追いついたよ。君、サインサイン」



乱太郎ときり丸よりもずっと前から暗殺者もとい先輩(仮)を追っていた小松田だった。
姿が見えないと思っていたら、ずいぶん引き離されていたらしい。

”と呼ばれた少年は、小松田に気づくと面倒そうに片手を振った。



「取り込み中だって、見ればわかるでしょう。相変わらずマニュアル小僧ですね」



その声と同時に、カカカッと板に堅い何かが刺さる音。
耳元で聞こえたものだから反射的に横に目をやった乱太郎は小松田の持っている入門表に無数の針のようなものが刺さっているのを見た。
引き抜いていくとそれが何と文字になっているではないか。


そう書いてあった。

初めて聞く名前だ。

小松田はサインであったら無数の穴でもよかったらしい。
にっこりと笑みを浮かべて、ミッションコンプリートとばかりに去っていった。

乱太郎がほっとしたのつかの間。
今度は目の前に人が降りてきた。
緑色の大きな背中、六年生だ。
その背中を見て、声を上げたのは委員会の後輩であるきり丸だった。



「中在家長次先輩!!」



学園一無口だと言われる六年ろ組の、図書委員長である。
表情は伺いしれない。



「    」



長次が何か言うと、は表情を一変。
花が咲いたような笑みを見せて。



「長次!」



なんと、親しげに名前呼びをしたではないか。
とても冷たく感じた水色が、今は暖かい。



「久しぶり。進級おめでとう。六年生の服がとても似合ってるよ」



が言うと、長次はトコトコとに近づき、その手をそっと握りしめた。



「もそもそ・・・・」



長次の言葉が、乱太郎の耳には入らなかった。
すかさず、きり丸が通訳しようと長次に近づいたが。
その前に、が照れくさそうに言葉を紡いだ。



「え。俺にも似合うに決まってるって? ・・・ありがとう、長次」



驚きだ。
接近しているとはいえ、通訳なしに長次と会話が成立しているなんて。



「何の騒ぎかと思ったら、先輩帰ってきたんだな」



また、背中で声がした。
乱太郎が振り返れば、五年い組の久々知兵助の姿があった。
その隣には五年ろ組の竹谷八左ヱ門。

二人とも、どこかほっとしたような、嬉しそうな顔をしている。



「久々知先輩も竹谷先輩もあの人のことを知っているんですか?」



きり丸は未だ長次と笑いあっているを指さした。
すると、兵助が目をぱちくりさせて、合点がいったように「ああ」と呟いた。



「一年生は先輩に会うのは初めてだな。彼は六年ろ組先輩。体力に難を抱えているが、それを補うスピードと瞬発力を持っている。たしか、聞いた話だと立花仙蔵先輩といつも首位争いをする優等生で、仙蔵先輩を三回成績で負かしているとか」



続いて、八左ヱ門が口を開いた。



「無類の年下好きで、毎年入学式には三人組で建物の上から一年生を見ていたんだが・・・。そうか、学園長の任務があったから今年は姿が見えなかったんだ」
「ほっとしたな」
「先輩たちはそわそわしているし、三郎はイライラして当たり散らすし」



交互言い合い、笑い合う二人の頭にいきなり拳が落ちてきた。



「いつ八つ当たりした、いつ」



また、いつの間にか二人増えていた。
五年ろ組の双忍、不破雷蔵と鉢屋三郎であった。
二人とも同じ顔をしていたが、片方がうろんげな表情で拳を握りしめていたから、三郎だということがわかる。

何だかどす黒い空気を感じ取った乱太郎は、あわてて話題を取り替えた。



「ああ! そういえば、竹谷先輩は先輩は毎年三人組で一年生を見ていたと仰いましたが、先輩と後誰ですか?」



乱太郎の問いに、八左ヱ門は天の助けと口を開いた。



「それは、あの中在家長次先輩と、いけどんの・・・」
ーーっ!!」



話している最中だった八左ヱ門が吹き飛んだ。
彼をとばした緑の台風は両手を広げ、まだ手を握り合っているを長次ごと抱きつく形で、押し倒した。



「・・・あの七松小平太先輩だよ。一年生の時からの大親友さ」
「ぐえっ」



がつぶれた蛙のような声を上げた。

無理もない。
六年生二人がのしかかっているのだ。

だというのに、小平太はその体制のまま、の顔を両手でむんずと掴んだ。



だよな。本当に、だよな」
「本人だよ本人、ああもう。思う存分堪能するがいいさ」



答えるようにも小平太の顔を両手で掴むと、互いに見つめ合った。

三秒。
十秒。
二十秒。

間に長次を挟んだまま二人は身動き一つしない。

おいおい。
いつまでこの沈黙が続くんだ。

誰もが思っている中。
空気を破壊する勇者が・・・。



「いつまでやっているつもりだ馬鹿たれぃ」



スッと、六年い組の潮江文次郎が現れた。



「そのアホ面を見たいのは小平太、お前一人ではないぞ」



隣には同じくい組の立花仙蔵がある。
そして、いやがる小平太を二人係で引っ張りのけた。
やっと起きあがることに成功したは、「久しぶり、元気そうだな」と文次郎と仙蔵に笑いかけ、ぐるりと周囲を見渡し、五年生等にも挨拶をした。

そして、あれ?と呟く。



「六年がここまでそろっていると、は組がいてもおかしくないのに」
「伊作が穴に落ちたからな。留三郎が救出中だろう」
「穴? ・・・ああ、喜八郎か。相変わらず」



やっと日常に戻ってきた気がする。

がそう言って笑うのを、乱太郎ときり丸は変な心地で見ていた。

ああ。
やっぱりここにいる先輩方は、ふつうの神経じゃないんだな、と・・・。

















<END>