夜には鬼がいたり、いなかったり
















夜が来る。
黒い闇が大口開けてやってくる。
その光景をは木の枝から眺めていた。

長次と小平太は部屋で明日のテストに向けて勉強だ。
泣きべそかきながら長次に教えを請う小平太の姿が容易に想像でき、はくすりと笑った。



「おっと、暇を潰している場合じゃなかった」



自分に置かれている状況を思い出し、懐からくないを取り出す。
出発前に念入りに手入れをしておいたそれは、星明りと同等に輝いていた。

枝から跳躍し、着地したのは古びた民家の屋根。
昼間の下調べで発見しておいた小さな穴から難なく天井裏へと忍び込む。
民家の中は一本のろうそくでのみ照らされており、それを囲むように男たちが座っていた。

全部で7人。
水浴びしたのは何ヶ月前なのか、それぐらい臭い匂いが天井裏にまで届いていた。
は鼻まで布を引っ張り上げた。
そして、耳に全神経をそそぐ。
すると囁き声が聞こえてきた。

方角、分かれる人数、目標の品。
それだけを聞けば十分だった。

の今回の忍務の標的である確認に。

は懐に手を突っ込むと手裏剣を取り出し、これまた下調べで発見しておいたはずれやすい屋根板をはずして、男たちが頼りにしているろうそくに向かってはなった。



「明かりが!」
「何者だ!!」



夜がゴールデンタイムである忍者の卵であるは明かりがあるないに左右されない。
が、明かりがなくなり男たちは大いに混乱した。
中には刀に手を伸ばした者がいたようだが、するりと屋根から降り立ったの行動の方が早かった。

武器を持つ手を蹴り付け、一気にくないを一閃する。
一人が倒れると次の標的へ。
恐怖心からでたらめに振り回している太刀を避けながら、冷静になりつつある者から順に落としてゆく。



「忍者か!」



振り向きざまに空気の切れ目を感じ、は後ろへ一足飛びした。
しかし太刀の範囲からは逃げ切れず、髪を数本とられ、それに頬に赤い線をもらってしまった。
痛さからではなく、学園に戻ったあとに貰うだろう親友達からの小言のことを思い、舌打ちする。

そしてとうとう、立っているのはだけになった。



「ふう」



使い物にならなくなったくないを腰の袋に直し、は男たちが囲んでみていた地図の掴んだ。
目的地として中心に書かれていたのは成金で有名な貴族の家。



「よし、証拠の品はこれでいいだろ」



首を持っていくのが一番確実だろうが、やんごとない貴族さまは箱から滴る血を見るだけで卒倒するだろうから。

は小さく笑うと地図を丁寧にたたみ、懐に忍ばせた。
そして、用のなくなったぼろ民家から去ったのだった。
次はどうどうと入口から。

















「ジュンコー」



真夜中の学園を、一人の一年生が歩いていた。
不安そうに周りを見渡しながら、手に持ったろうそくの明かりを頼りにどんどん長屋から遠ざかってゆく。



「どこにいるんだい? ジュンコーーっ」



草むらを掻き分けて、彼女がいないことに落胆の息をつく。

その時ふいに、大きく茂みが動く音を聞き、少年はびくりと体を震わせた。
しかし風が起こした悪戯だったのだろう。
茂みはそれきり動かず、沈黙が戻ってきた。

それに少年、伊賀埼孫兵は肩を緩めたのだった。

忍びになろうと思っている孫兵にとって夜の暗さなんて怖くない。
孫兵が怯えるのは、同級生から伝え聞いた噂話が原因である。



『忍術学園は夜になると鬼が出るらしい』



それを聞いたのは一週間前だったか。
タイミングが悪いことに、それと同時に外から『ぎんぎーん』という何とも理解不能な恐ろしい声が聞こえてきたから一年生の恐怖心は一気に膨れ上がった、という夜があった。
孫兵も驚き、固まった一人である。
だからそれ以来一人で夜の学園を歩くことはなかったのだけれども、今日は例外だ。

孫兵が目に入れても痛くないほど可愛がっているジュンコが迷子になったのである。

春とはいえ夜はぶるりと体が震える風が吹く。
ジュンコには辛いかもしれない。

孫兵は恐怖心を追い出して、歩き出した。



「ジュンコー」



呼びながら池の傍についたときだった。
ゾワリと背筋を何かが走りぬけた。

濃い鉄の匂い。
今まで山の匂いしかしていなかったのに、ふいに違う匂いが漂ってきた。

孫兵はその匂いだ何なのか分かってしまった。

ちの、においだ。

人間の心理とは不思議なことに、ひとつを感知をしてしまったら全てを感知してしまえるほどに感覚が鋭くなってしまうものである。
恐る恐る顔を上げた孫兵は、目の前に立っている木を幹から枝へと目を走らせた。
そして、気付いてしまう。

何かがいる。
何かが僕を見ている。

体がすくみ動けなくなった孫兵に追い討ちをかけた。
いままで雲で消えていた無数の星たちが、木々の陰と、そして何かの影を映し出したのである。

孫兵は見てしまった。
木の上に、黒い影がいるのを。
こちらを、青い目で見下ろしているのを。

名乗られずとも分かる。
鬼だ。



「っっ・・・!」



つばを飲み込んだ孫兵の肩に何かが触れた。



「おい、一年坊主が夜遅くにこんな場所で何やっている」
「ひゃああぁぁあああっ!!? んぐっ!」



叫んだ孫兵の口を後ろに立った誰かが慌てた様子で押さえる。



「睡眠妨害だ、叫ぶなっ!」



泣きそうになりながら首を動かした孫兵は、自分の口を押さえているのは鬼ではなく人の姿をしていることに気付いた。
そして、来ている服が四年生の制服であることに。



「手を放すが叫ぶなよ、いいな?」



念を押されて、孫兵はこくこくと頷いた。
豆だらけで堅い手が口からのいた。
それでやっと振り返ることができて、孫兵はその先輩を見上げることができた。

厳しそうな表情の先輩だ。
目の下には濃い隈がある。

その先輩は孫兵が落ち着いたのを見て、ふいに顔を上げた。
その方向には、先ほど孫兵が鬼の影を見た木がある。

そうだ。
孫兵の口を閉じたのは先輩だったが、木の上にいるのは正真正銘の鬼だ。

早く逃げないと食べられちゃう!!



「先輩、逃げましょう!」



慌てて先輩の袖を引っ張った孫兵だったが、言葉を投げかれられた先輩の方はというと、首を傾げている。



「なぜだ?」
「おおおお鬼が、そこに鬼が!! 食べられちゃいます!!」



孫兵の必死の訴えをしかし、先輩は大口を開けて笑い飛ばした。



。お前いつから鬼になったんだ」



なんと先輩は鬼に向かって親しげに話しかけたではないか。
しかも、その口から飛び出た名前は一年生の孫兵でも知っている、後輩になら無条件で優しく接してくれる、鬼とは正反対の先輩の名前だったのである。



「鬼の短期バイトの面接に行ってきた帰りなんだよ」



そうおちゃらけた声が返ってきた。
孫兵が振り返れば、笑顔でこちらに歩いてくるの姿があった。



「こんばんは孫兵」
「ん、何だ。知り合いか?」
「話すのは初めてだ。ただ、八左ヱ門がよくこの子の噂をするもんだから覚えてんの」



ね、生物みんなに優しく接してくれる一年生の伊賀埼孫兵くん。

と、彼は笑顔で孫兵の名を呼んだ。
孫兵はホッと息をついた。

どうして鬼だと思ったのだろう。
こんな優しい雰囲気の人を。

が小首を傾げた。



「でも、文次郎の言うとおり、どうしてこんな時間に外に? 罠が見難くて危ないだろ」
「それは・・・」



言われてハッとすることが今日はなんと多いことか。
孫兵は自分がジュンコを探して外に出ていたことを思い出し、らに助けてもらおうと改めてを見上げて、ギョッと声を上げた。



「ジュ、ジュンコ!!」
「ん?」



なんと、の首にジュンコが巻きついていたのである。
ついつい行儀が悪いと分かっていても指を刺してしまった。

は不躾に指差されたというのに気にした様子もなく、首のジュンコを見下ろす。



「このヘビは孫兵のか」
「はい。彼女を探していたんです」
「もう少しで学園の外に出るところだったんだ。毒蛇だから保護しようと思ってつれておいてよかった」
「ありがとうございます!!」
「ホラ、長屋にもどれよ」



するりとジュンコが孫兵にからみつく。
それを見届けて、文次郎が先生のように注意をすれば、孫兵は深い深いお辞儀をして、去っていった。

残った二人は互いの顔を見合わせ、苦笑をするしかなかった。



「鬼だってさ」
「あれだけ殺気だってたら言われるに決まってるだろ」
「あーあ、とばっちりだよ。大体学園に出る鬼って『ギンギン』って鳴くらしいじゃん」
「なんだそれは」
「・・・・・自覚ないんだ?」
「何のことだ?」
「んん、別にー」



がはぐらかすと文次郎はため息を一つ吐いて、の頭に手を置いた。



「悪かったな、伊賀埼を止めるのが間に合わなくて」
「別にー」



それには口元を自嘲的に緩めただけだった。




















<END>




尻切れトンボ。
ごめんなさい。落ちが思いつかなかったのよ。
とにかく鬼はひとりじゃないってことです。それだけです。