結い終わったら顔を洗って
学園長の思いつきは、いつものことらしい。
らしい、というのも、それは先輩から伝え聞いた話であって、まだ忍術学園に入学して一月もたたない食満留三郎にはうかがい知れぬことであった。
「一年生同士、親睦を深めるため、『1年生クラスごっちゃまぜサバイバルレクリエーション』を行う!」
それが今回の『思いつき』らしい。
これは学級対抗ではなく、個別の競いになるようだ。
二人一組になり、学園から裏々山まで辿り着いたらいい。
と、これだけ聞くと、単純なマラソン大会のような雰囲気だが、騙されてはいけない。
ここは忍者の学園。
裏々山までの道には多くの罠や細工が仕掛けられているという。
初対面のペアとの連携に加え、運や危機感知能力も求められる、過酷なレクリエーションだ。
「留さんは誰とペアになったの?」
ペアを決めるくじを引いた留三郎に、善法寺伊作が笑いかけてきた。
彼は留三郎とは一年は組の長屋で同室である。
そのため、必然的に伊作は留三郎の一番最初の友人になった。
「僕はろ組とペアみたいだよ」
「俺も、ろ組とペアだ」
留三郎の引いたくじには『ろ組 』と書かれていた。
その人物を、留三郎は一方的に知っていた。
はろ組のトラブルメーカー三人組の一人だ。
三人は入学初日から、教室の窓から転落する事故を起こし。
学園長からの初めてのお使いでは山で迷子になり、猪をお土産に持って帰り。
ついこの間は真夜中に外で騒いでいたとかで、ゲンコツを貰っていたようであった。
小平太、、長次の、三人の名前を聞かない日はない。
が、自分の不運で手一杯の伊作はの名前を聞いても「ふーん?」と、分かっていないようだった。
「じゃあ、僕は行くから、留三郎も頑張っ―――てえええぇぇえぇ!!!?」
「・・・・伊作こそな」
一歩進んですぐに落とし穴に落ちた友人を見下ろし、留三郎は合掌をしたのだった。
彼の幸先は暗そうだ。
「どっちが先にゴールに辿り着くか競争だ!」
「負けたら何をする?」
「バレーをする!」
「それ、小平太が得するだけじゃないか、罰ゲームにならないよ」
ふいに、大きな声が上がった。
留三郎が顔を上げると、噂をすればなんとやら。
小平太とが笑いあっていた。
「負けたほうは次の休みに団子をおごる! これでどう?」
「あー、いいね。俄然やる気が出る。もちろん二人前だろ!」
「二人前も!?」
楽しんでいる場に割り込むのは忍びなかったが、くじを引き終わったペアは我先にと裏々山へと出発していっている。
引き離されたら勝ちは難しいだろうと考えた留三郎は、の肩をトントンと叩いた。
「だろ。俺がペアになった食満留三郎」
よろしく頼む。
と、手を差し出せば、はキョトンとしていた顔を笑顔に変えて、手を重ねた。
「よろしく、目指すなら一番乗りだろ!」
その時に、留三郎は気付いた。
の瞳は、空のような見事な水色をしていたのだ。
「、またあとでなー」
「おう!」
元気いっぱいに大またで去っていった小平太に手を振り、は「じゃあ行きますか」と腕をならす。
それでハッと我に帰った留三郎はスタート位置に向かって歩き出したのだった。
「武器は何か持ってきた?」
「手裏剣くらいだ。は?」
「俺もそんなもの。くないと縄」
不思議なことにはそう言いながら、留三郎を押したり引っ張ったり、蛇のように蛇行させて歩かせる。
歩きにくいことこの上ない。
しばらくは黙ってのしたいようにさせていた留三郎だったが、の足に躓きそうになり、とうとう不満を漏らした。
「何でそんなヨロヨロ歩くんだ」
「え。何でって」
はきょとんとした表情で小首を傾げた。
留三郎は、が掴んだままの服の袖を振り払い、言った。
「酔っ払っているみたいで格好悪いぞ」
「でも・・・・・」
留三郎が真っ直ぐ歩き出したら、が声を上げた。
「そのまま進むと」
「そのままだとな」
“何だ”と続くはずだった留三郎の声は深い底に消えた。
底に消えたのは声だけではなく。
留三郎は落下していた。
「どわあぁぁぁあああぁ!!?」
「落とし穴に落ちるよって、言おうとしたんだよ」
留三郎が落とし穴の底で打ちつけた背中をさすっていると、の声が降ってきた。
見上げれば、困ったような表情で覗き込んでいるの姿。
「先に言えーーっ!」
留三郎が叫ぶと、上から縄が降りてきた。
「ひっぱるよ、掴まってー」
声とともに縄が上がっていくものだから、留三郎は慌てて縄を掴んだのだった。
「落とし穴にどうして気がついたんだ?」
服についた土を払いながら留三郎が問うと、は自分の耳を指差した。
「俺、耳がいいんだ」
「・・耳がいいのと罠と、どう関係するんだ?」
「えぇ?」
は小首を傾げる。
「跳ね返ってくる音の振動の違いだよ」
留三郎には理解できない違いであった。
ただ、蛇行していた理由が、罠を避けていたからだと分かった今、大人しく後ろをついていけば罠にかかる心配がないことは理解できた。
それだけ考えよう。
留三郎はの手のひらが赤くこすれていることに気付いた。
同学年を一人で引っ張りあげたのだ。
重たかっただろう。
「ありがとう」
留三郎が呟くと、は縄を巻きながら笑った。
「よせよ。ペアを助けるのは当然のことだろ」
あ。
いいやつだ。
留三郎はそっと微笑むと、を先頭に促したのだった。
「先頭は頼んだ」
「まかせろ!」
<つづく>