どこかぬけている天才。
「ん?」
廊下を歩いていた仙蔵は、ぽつんと忘れ去られた横笛を見つけた。
何故こんなところに。
拾い上げてみると、小さい見た目のわりには重たい。
しかも、材質もあまりよろしくない。
祭りなどの出店で安く売ってあるような粗悪品だろう。
落し物か。
捨てたか。
と、首を傾げる仙蔵の元に、言い合う声が聞こえてきた。
「だってあれ不良品だぜ」
「だからって投げ捨てることないだろ」
声のしたほうに目をやれば、四年生の先輩二人が歩いてきていた。
その片方が、仙蔵に気づき、声を上げた。
「一年い組の立花仙蔵じゃないか」
「こんにちは先輩」
仙蔵は軽い会釈を返した。
すると、もう一人の先輩が「あっ」と呟いた。
「俺の笛」
彼は仙蔵の持っている横笛を指差している。
「先輩のですか? ついさっき拾ったんです」
笛を差し出したが、先輩は受け取ろうとはしなかった。
ただ、首を横に振っただけである。
「やるよ。俺には必要ないから」
「必要、ないんですか」
「音が出ないんだ。吹いてみな」
先輩に言われ、仙蔵は横笛に息を吹き込んでみたが確かに、ボオーと、笛の音とはいいがたいものが出た。
「おまえなぁ。捨てるのが面倒だからって一年に押し付けなくても・・・・」
「いいえ。お気になさらないでください」
呆れたようにため息をつくもう一人の先輩ににこりと笑みを返し、「楽器は好きなので、もう少し眺めていたいと思っていたんです」と、差しさわりのないように付け加えれば、先輩は仙蔵の思惑通り、それならばと去っていった。
二人の姿が完全に見えなくなると同時、仙蔵は顔をゆがめた。
「安物のうえに音もでないか」
さっきまでの綺麗な笑顔はどこへやら。
不機嫌に笛を片手でもてあそび、ため息をついた。
受け取ったのは、楽器が好きだからでも、眺めていたいと思ったからでもない。
優等生であるためには、成績だけではなく、先輩からの心象も良くしておかないといけないからだ。
「しかし、いらないものを受け取ってしまった」
先輩の目の届かない遠いところで捨てるべきだな。
頭の中で思案し、いつ実行するかへ思考を移動させていた時だ。
ずんと、肩に重たいものがのしかかり、同時にふわりと声がした。
「へえ、横笛か。仙蔵って吹く人だったんだ」
耳元に、吐息と細い髪が触れた。
ひっつきすぎだ。
仙蔵は“彼”のおでこを手の甲で押しながら言い返した。
「さっき私のものになった。確かに私は笛を吹けるが、この笛では無理だから捨てに行くところだ」
「いたたた。そんなに強く突き放さなくてもいいだろ」
“彼”は水色の瞳を涙で滲ませて、唇を尖らせる。
迷子の子猫のような目をされても何とも思わない。
この男、一年ろ組のは仙蔵が一方的に決めたのライバルだから。
少しくらい冷たく接しようと、心は痛まないのである。
「で、この笛だと吹けないってどういう意味?」
は仙蔵の手を覗き込む。
仙蔵はくるりと笛を回した。
「音がでない」
そう返すと、は目をぱちくりさせて、「吹いてもいい?」と聞いてきた。
「抜けた音しかしないぞ」
「まぁまぁ。やらせてよ」
が目を輝かせるから、ついつい渡してしまった。
どうせこれから捨てるのだ。
壊れようが何しようが、かまわない。
そう思いながら仙蔵はがどうするつもりなのかを見ていることにした。
は手に乗った笛を上下左右に振ったり回したりしながらじっくりと眺め、そのあとに唇を当ててボオーと音を立てた。
仙蔵がしたこととなんら変わりがない。
しかし、はにっこりと笑って。
「ああ。確かにこれなら音がでないわけだ」
と言うと。
廊下の端に座り、懐から小刀を取り出した。
何をするつもりだ。と、声をかける前に、は横笛をおもむろに削りだしたではないか。
仙蔵はギョッとした。
たしかに、何をしてもいいだろうと思っていたが。
まさか小刀を使って破壊行為にはしるとは思っていなかったのだ。
見る見るうちに、の足元に削りかすが増えていく。
仙蔵ははじめこそは驚いたものの、しだいにが何も考えずに削っているわけではないことに気がついた。
時折、笛を目からはなして角度を見ている。
その目は真剣そのものだった。
ので、学園一長い髪が廊下に無造作に散らばっていることにも気付いていないだろう。
仙蔵は深いため息をついた。
散らばっている色素の薄い黒髪を結び目からそっとつかみ、下に滑らせながらの背中に落とす。
そして、仙蔵自身はの隣に腰をおろした。
そうしている間もの手は絶え間なく動き、しゃっしゃと竹を削る音が響く。
手を止めては笛を回したり眺めたり。
その動作が終わったのは4分後。
「よしっ」
と、が声を上げた。
彼は仙蔵の手に笛を持たせると、「吹いてみて」と言う。
持った笛は先ほどと違い、見た目にあった重さに変わっていた。
しかも、思いのほか手に馴染む。
仙蔵は促されるように息を吹き込んだ。
澄んだ音が響いた。
まさか、これがさっきまで粗悪品だった笛だというのか。
呆然とする仙蔵を差し置き、は笛を取り上げると「何か音が違うな」と、また小刀を動かし始めたではないか。
今度は、削るたびに音を出し、旋律を整えている。
そして最終的に、全ての音がそろった。
は短い曲を吹くと、満足とばかりに、また仙蔵に笛を持たせた。
「これで捨てなくていいね」
笑顔で言われ、仙蔵はそのまま去ろうと立ち上がるの腕を掴んだ。
「どうして直せるんだ」
「へ?」
は目を瞬かせた。
「どうしてって。休みの日とかはそういうバイトをしてるけど」
「そういう意味ではなく。どこが壊れているのか、どうして音を聞いただけで分かるんだ」
「えー? 音を聞けば分かるだろう。音の響きとか、返ってくる振動とかで変化があるじゃん」
と、さも当たり前であるかのように言った。
音の響きだけで正しい調律ができるものなど、聞いたことがない。
そのうえ、音の振動だと?
そんなもの、感じることができるものなのか。
訝しく感じた仙蔵だが、の小首を傾げている様子からして、それが稀有な能力だと分かっていないらしい。
仙蔵の歪み顔を、信じていないからしているものだと勘違いしたらしいは、さらに言った。
「この笛の材質と形から考えて、一番合う『ド』を導き出して、他の音をそろえていくだけだろ」
は、彼曰く一般的な『ド』と、それから導き出した笛の『ド』を唇にのせたが、仙蔵には二つの音の違いが分からなかった。
「おーい。」
ふいに。
忍たま長屋の方向から、一年ろ組の生徒が二人、こちらにやってきた。
は顔を二人の方に向けた。
「なぁにー?」
「いや、すぐ済むことだから、そのままでいいよ」
二人は、仙蔵が立ち上がろうとしたのを静止し、に両手を合わせた。
「アレをお願い。一発がつんと!」
「えー。ここで?」
「頼むよ。あれを聞いたら勉強しなくちゃって思うんだ」
おねがーい。
と、二人はを拝み倒す。
渋っていたは二人が引かないことが分かると、ため息を吐き、「誰がいいの?」と問う。
「山田先生!」
二人は声をそろえた。
すると、はすぅっと息を吸い込み。
「コラー! 机に向かわないと、裏々山までマラソンさせるぞーっ!!」
「うわっー!」
「ひゃーーっ!!」
突然、山田伝蔵先生の声が廊下を振動させた。
ろ組の二人はびくんと飛び上がると、回れ右をして逃げ出してしまった。
仙蔵は驚いて周りを見渡した。
しかし、山田先生の姿はどこにもない。
たしかにさっきのは山田先生の声だったというのに・・・。
「あーあ。あいつら、いつもやらせ逃げなんだよな」
隣のが言う。
は喉をさすり、二人の逃げた先を見つめていた。
仙蔵は恐る恐る聞いてみた。
「今の・・・・・」
は仙蔵を見下ろし、ペロと舌を出した。
が出したのだ。
今の、山田先生の声を。
「おいぃぃぃいい! 仙蔵!?」
仙蔵はの手を引いて走り出した。
「いきなりどこ行くんだよ」
戸惑ったような声を出すに見向きもせず、ただ走る。
途中すれ違った善法寺伊作や七松小平太がギョッとした表情を浮かべていたが、風のように通り過ぎた。
「・・・おい。ちょいと。立花仙蔵君」
が口を開いた。
心なしか、その声は震えている。
この廊下まできたら否応なしに気付く。
職員室に向かっていることに。
「声で遊んでいたこと山田先生にバラす気だな! やめろよ、怒られるだろーっ!!」
「怒られる!? なに頓珍漢なことを言っている」
怒られるわけがない。
「分かっていないのか?」
「何をだよ!」
仙蔵はほとんどぶち破る勢いで職員室のドアを開いた。
先生はちらほらしかおらず。
突然押しかけた仙蔵とを見て、唖然としていた。
「お忙しいところ、失礼します」
仙蔵は一年ろ組の教科担任、斜堂影丸先生に歩み寄った。
が逃げようともがくが、仙蔵はしっかりと掴んで放さなかった。
「先生。に『音声忍』の才能があることを、知っておりましたか?」
「・・・はい?」
「へ?」
斜堂先生とは同時に変な声を出した。
先生どころか、本人にもやはり自覚がなかったようだ。
仙蔵はため息をつきたい衝動を抑えて、もう一度言った。
「は『音声忍』になれます」
「立花。それはどういう意味だ?」
あまりに呆然としている斜堂先生と、きょとんとしているを見かねてか、仙蔵の組の実技担任である山田先生が訊ねてきた。
仙蔵は、が小刀を使い4分弱で笛を直したことと、体一つで山田先生の声を出したことを伝えた。
「待て仙蔵。『音声忍』って何?」
が首を傾げた。
すると、俯いて物思いにふけっていた斜堂先生が言った。
「『音声忍』とは、様々な声をその状況に応じて使い分ける忍者のことです」
「へえー」
しばらく黙って話を聞いていた山田先生は、腕を組みなおすとを見下ろした。
「本当に私の声が出せるのか」
「はい。それでよく遊んでいました。ごめんなさい」
はまだ先生に怒られると勘違いしているようで、真っ青な顔でか細い声を出した。
「いや、叱ろうと思っているわけじゃないぞ」
「そうですよくん。すばらしいことです」
山田先生に苦笑され、斜堂先生に頭を撫でられて、は目をパチクリさせた。
「すばらしいんですか」
そう言うと、は小首を傾げた。
「だって、色々なところに音があふれているんだから、忘れるわけがないでしょう」
いつだって手本になる音があるんだから、楽器を治すことは誰にだってできる簡単なことでしょ。
は真剣に困惑した表情を浮かべた。
「色々なところに? 理解できない」
仙蔵が眉をそばめれば、は驚きに顔を歪ませて「ほら、今だって」と、仙蔵の口を指差した。
「仙蔵の声はこれだ。俺のよりも少し低い」
と、いきなりの口から仙蔵の声が聞こえてきた。
続いて、斜堂先生を見て、「先生はもっと低くて。小さい」と、斜堂先生の声で言う。
ぱっくりと、山田先生が驚きに口を開いた。
「こりゃたまげた」
「なんでですか。先生の声だって。物音だって。風の音だって。歩く音だって。なんにだって、全ての音に音程があるじゃないですか」
は床を踏んで、「これは低い『ファ』『ソ』」。
「こっちは『レ』『ラ』『ド』」と、手を叩く。
「音を立てないものは存在しないのに」
は寂しそうに呟いた。
<END>
忍たまだから、「ドレミ」でいいでしょ。
「いろは」にしたら、通じにくいかな、と思ったんです。