不運も歩けば
「お願いお願い! 僕を助けて。見捨てないで!!」
それは授業も委員会活動も終わり、部屋で宿題でもしようと長屋に帰ったところであった。
食満留三郎が漆の長箱を手前に、こちらに向かって土下座をする同室の善法寺伊作に遭遇したのは。
彼曰く、今年度最大のピンチに見舞われているらしい。
朝起きた瞬間から、顔に尺取り虫が陣取り。
顔を洗いに井戸に行けば、潮江文次郎と七松小平太のじゃれあいに巻き込まれ、全身ずぶぬれ状態に。
実授業のランニングでは、石に躓き、すぐ後ろを走っていたクラスメイトに踏まれたという、不運もここにきわめり、といった一日であったという。
さすがの伊作もこれはさらに悪いことが怒りそうな予感を感じ、長屋に引っ込むことに決めたらしいのだが、帰る道すがら吉野先生に呼び止められてしまったらしい。
「ちょうどよかった、保健委員の善法寺伊作君。これを新野先生に渡してください。届いたばかりの貴重な薬です」
冗談じゃない。
心の中の伊作の嘆きが吉野先生に届くわけもなく。
とにかく助けを求めなければと、伊作は留三郎を待っていたらしい。
「どどどど、どうしたらいい? 留さん!」
「いや、どうするもなにも、新野先生に届けないわけにはいかないだろう」
「でも、本っ当に今日は絶好調なんだよ。僕だけが大変な目に遭うならまだしも、この貴重な薬に何か起こったらと思うと・・・・」
「・・・あのよ。不運が絶好調ってのは、なんだか表現としておかしくないか?」
「でも、実際そうなんだ」
伊作は青白い顔で留三郎を見上げた。
大事そうに抱えている漆の箱との対比で、さらに顔色が悪く見える。
留三郎は参ったな、と額に手を当てつつも、やはり返す言葉は一つしか持ち合わせていないのである。
「俺も一緒にいくから落ち着け」
「ありがとう留さん。持つべきは友だね!!」
かくして、二人のお使いが始まったのである。
留三郎は、伊作が箱をしっかり握ったのをみて、言った。
「いいか。ここはおとり作戦だ」
「・・・留さん?」
「俺の考えた作戦はこうだ。伊作、おまえは絶対俺の後ろを歩け。俺が罠のない道を選んで、かつ、俊敏に行動する。とにかく、寄り道せず、話しかけられても答えず、ただ保健室へたどり着くことだけを考えるんだ」
「そんな・・・っ。留さんを置いてなんて行けないよ!」
「バカ野郎! 忍者なら忍務を優先するんだ」
保健室に行くだけなのにこの会話。
しかし、二人は真剣なのである。
かたくなに首を振っていた伊作だが、留三郎の覚悟に、とうとう折れた。
「・・・分かったよ留さん。どんなことがあっても保健室にたどり着いてみせる!!」
「・・・・・よし。いくぞ!」
二人は留三郎を先頭に、長屋から飛び出した。
保健室までは廊下を歩くよりも、外を駆けたほうが早い。
それで留三郎は庭を突っ切るべく地面を踏んだ。
瞬間。
ぐにっと。
留三郎は地面の感覚に違和感を覚えた。
やわらかいのでる。
それはまるで、出来立ての通し穴のように。
「っ・・・っ!!」
無念なり。
落下の覚悟を決めた留三郎。
しかし、待てども待てども浮遊感がおそってこない。
助かった。
一年生が掘った落とし穴だったのかもしれない。
地面のダミーを堅く作りすぎてしまったのだろう。
一人分の重さでは落ちなかった。
ホッと息をついた留三郎だが。
「どうしたの留さん。一歩で立ち止まっちゃって」
伊作が落とし穴に気づかず、降りてこようとしてるではないか。
「伊作!くるなああぁぁぁああぁ!!!」
「え、うわああぁああああ!!?」
世は無常なり。
結局、二人分の重さに耐えきれなかった地面は、二人を飲みこんだのであった。
<つづく>
主人公が登場しない・・・・。