乱暴に、優しく
「なあ 知ってるか? ろ組ののこと」
そんな無駄口が聞こえてきた。
いつものことだ。
休み時間の前の掃除というのは億劫である。
いつもならば聞き流している話であるが、話題に上ったのが友だちだったこともあり食満留三郎は耳をそばだてた。
「って。2ヶ月前に瀕死の状態でおつかいから帰ってきたやつだっけ」
「そう、目の色がど派手なアイツ」
黒板消しを窓際ではたきながら、話題を持ちかけた少年が、こう続けた。
「アイツ、忍術学園辞める気らしいぜ」
「は? それはないだろ」
ありえない噂話に、ついつい声が出てしまった。
留三郎は慌てて口を閉じたが、既に遅く。
二人の目が留三郎に向かった。
盗み聞きをしていたことがばれては仕方がない。
どこから流れたのか分からないホラを訂正するため、口を開こうとした留三郎だが、それよりも一瞬早く、大声がは組の教室をゆるがせた。
「食満、食満留三郎はいるか!!?」
大声の先を見れば、眉をへの字に下げた七松小平太の姿がそこにあった。
「知らない!?」
「俺より親友のお前の方が詳しいんじゃないのか?」
留三郎がそう返すと、小平太はクシャリと顔を歪ませて、泣きそうな声で言った。
「・・・どこにも、いないんだ。学園のどこにも」
という少年が自慢とするのは、怪物じみた体力であった。
山を幾つ越えようとも息は切れることはなく。
泳げば異国までだって辿り着けるのではないかと思えるほどのもの。
彼をよく知らない多くの者は、『天才』と呼ぶ。
が、実際は『努力の人』であるのがだ。
頑張っている姿を見られるのを厭うは、親友である小平太や長次にすら勉強、あるいは予習をしている姿を見せない。
留三郎はそのことを知っている数少ない一人であった。
彼がを見つけられたのはそのためだ。
でなければ学園の敷地の中でも最も端にある、上級生がトラップを仕掛ける練習として好んで使う区域に人探しに来ようわけがない。
小平太と中在家長次が涙目になって捜索している渦中の人物は、木の下で小さく蹲っていた。
「」
留三郎が呼ぶと、小さな肩が目に見えて震えた。
しかし返事は返ってこず。
留三郎はため息を一つついて、こちらを見ようともしない少年に向かって歩き出した。
「随分探したぞ。小平太と長次が心配していた」
「来るな。俺は戻らない」
やっと口を開いたかと思えば、拒絶の言葉。
留三郎は歩みを止めた。
「もう、戻れない」
「・・・何故だ」
「だって、もう、忍者になれない」
の声が震えた。
「どんなに頑張っても、裏裏山に行く体力がない。走ることも泳ぐことも木に登ることも、息をすることすら苦しい」
留三郎は息を呑んだ。
の体が思わしくないということは人伝に聞いてはいたが、そこまで後遺症の残るものであったとは知らなかったからだ。
しかし・・・・。
留三郎は今度は力強く歩み始めた。
「それがどうして学園を辞めることになるんだ」
「役立たずじゃないか!」
「誰がそんなこと言った」
「・・・・」
「おまえ自身がそう思っているだけだ」
怪物じみた体力。
はそれを最大限に生かした戦い方を学園で学び、五年生になるころにはプロの忍者に通用するほどの実力になるのではと、先生達も嘱望していた。
だからこそ、呼吸器に傷を負ったことは大変な痛手であることは確かだ。
だが、忍者は、体力があればいいというものではない。
「忍者は戦うことが基本じゃない。敵の混乱を誘い、動揺を誘うことで戦わずして勝つことが基本だ」
留三郎はの前に立つと屈みこんで、の頭に両手を添えて顔を上げさせた。
案の定、の顔は泥やら汗やら何やらでぐちゃぐちゃだった。
「お前は学園に残る」
「無理だよ」
「無理じゃない」
「でも!!」
言い募るに苛つき、留三郎は怒鳴った。
「じゃあは学園を辞めたいんだな!?」
の喉がひくりと震える。
震えは喉から体全体に伝わっていき。
そして、声がから飛び出した。
「やめたくない、やめたくないよぅ! 小平太と長次と一緒に、卒業するって言ったんだ!!」
ボロボロと涙をこぼすにはいつもの飄々とした様子が微塵も残っていない。
「留三郎、留三郎!! 俺、どうしたらいいんだろう。どうしたら、学園にいられるのかなぁ!!!」
とうとう堪えられなくなったのか、はわんわんと泣き出した。
ぎゅっと留三郎にしがみつく。
その手は切り傷、擦り傷、豆が揃いぶみ、崖のぼりをやったのか、泥まみれで爪は割れ、血が滲んでいた。
足も似たような惨事だ。
そんなになるまで、元の自分を取り戻そうと頑張ったのだろう。
しかし、なくなった内部は元には戻らないのだ。
「取り戻すことが全てじゃない」
留三郎はの背中を優しくさすりながら言った。
「突っ込むだけが勝負じゃない」
落ち着いてきたの顔を覗き込み、留三郎は宣言した。
「俺が学年末までにを鍛えてやる!! だから、学園は辞めなくていいんだ!!」
「・・・っ、留」
「一緒に頑張ろう、!」
「ぅん、うん!!」
見上げれば夕闇が近付いている。
留三郎はとともに立ち上がると、彼が不安に感じないように手をつないで歩き出した。
「明日からスパルタだからな」
「・・・はい、師匠!」
「はは、俺が師匠ってタマか?」
学園から夕食の香しい匂いが漂い始めていた。
<END>
留さんは男前。