そうしてそらに落っこちた
季節は4月。
桜の舞い散る廊下を、中在家長次は歩いていた。
水色に井桁模様。
それは一年生であることの証。
真新しい制服に違和感を覚えながら、長次は辿り着いた教室の看板を見上げたのだった。
忍術学園。
忍者のたまご、略して忍たまを養成する学園に、長次は入学した。
両親ともに忍者である長次は当然の流れのように忍者の道へ行くことを決めたが、それ以上の理由はない。
どうしてもなりたいというわけでもなく、そこに長次の意思はまだない。
学園は六年生まであるのだから、これから忍者になりたいと思うようになるだろう。
そうでなかったら、その時だ。
両親はそんな気持ちで長次を送り出した。
ただ心配は、長次が周りに溶け込むことができるか、どうかだった。
いつからそうであったのか、両親とも仕事に出ている時が多かったことが原因の一つだったろう。
気付けば長次は感情を表に出さず、発言もまったくしない。
したとしても、とても小さく聞き取りにくい声しかしない子供になってしまっていた。
おかげで近所の子には怖がられ、友達もいなかった。
一年のほとんどを学園で過ごし、住む場所も長屋でルームメイトとの暮らしになる。
それに長次が耐えられるか、また、周りが耐えられるか・・・。
長次自身も不安に思いながら、一年間いることになる。
一年ろ組の看板から、開いたままの教室の扉に目を下ろした。
すると、教室の中に先客がいるのが見えた。
学園の指定した時間より、30分も前にやってきた長次よりももっと早い生徒がいたのだ。
長次と同じく一年生の制服を着ているその少年は、長次に背を向ける形で、窓の外を見ていた。
その髪の長いこと。
色素が薄いのだろうか、どこか色の抜けている黒髪は、後頭部で高く束ねられて背中に垂らされているのだが、短い房から長い房まで様々で、一番長い房はひざ下までもある。
小柄な姿は長次とさほど変わらないようだ。
声をかけたほうがいいのだろうか。
しかし、なんと声をかけたらいいのか。
人と接してこなかった長次にとって、そこから問題であった。
少年は背中を向いているため、長次に気付けるわけもなく、外を見ているばかりだ。
ふと、少年が動いた。
窓の枠に両手を置いて。
何と、片足を枠にかけたではないか。
ちなみに、この教室は二階だ。
落ちたら痛いではすまない。
ヘタしたら死ぬ。
・・・・まさか、それを狙っている?
長次は慌てて駆け出し、もう片足を持ち上げた少年の背中を教室側に引っ張った。
「うおっ?」
少年は驚きの声を上げて、長次を始めて振り返った。
目があった長次はドキリとした。
少年の瞳は、外の空に様な見事な水色をしていたのだ。
吸い込まれるような空だった。
「えっと・・・。何か用?」
少年の声が、現実を呼び起こした。
長次ははっと、少年の表情を見た。
困惑している者も、長次を疎ましく思っている様子はない。
長次は口を開いた。
「ダメだ」
声に出してまた、ハッとした。
長次の声は小さい。
家族でさえ、心構えをしてから耳を澄ませてでないと、聞き取れないほどなのだから、初対面の少年が聞き取れるわけもない。
その通り、少年は小首を傾げた。
「何がダメなの?」
しかし、少年の言葉は、長次に対する返事だったのだ。
長次はそのことに内心驚きつつ、もっとしっかりと少年の服を掴んだ。
「自殺したらダメだ。学園が嫌なのならやめたらいい。死んだらいけない」
真剣に訴えた長次を、少年は目をしばたかせて、口をポカンと開けた。
「へ? 自殺・・・?」
そして、プッと噴出して笑う。
「誤解だよ。入学しょっぱなから自殺なんて、ないない」
よほどつぼに入ったのか、少年は眦に涙をにじませて笑う。
いっそ気持ちのよい笑い方だった。
「外を見てたんだよ。ほら、いい天気だろう。もっと近くで見たいなと思って、窓に座ろうとしたんだ」
「・・・それはそれで危ない」
「うん。そうだね。そう言われてみると・・危ないよな」
二階だもんな、ここ。
少年は窓から見下ろし、肩をすくめる。
そして長次に目を戻すと、さっきとは違う花咲いたような笑みを浮かべた。
「心配してくれてありがとう」
長次は目を見開いた。
はじめてだった。
こんなにスムーズな会話をしたのは。
言い直しを求められなかったのは。
長次は知らず、口元が緩んでいることに気付いた。
七松小平太は落ち着きのない子だと言われ続けた。
誰とでも仲良くでき、明るくて責任感のある性格から、たくさんの友達がいる。
が、なまじ体力があるため、かけっこをすれば一山を越えてしまったり。
川で泳げば海まで下ってしまったり。
それに周りの子どもも大人も引きずられっぱなしで、親の手にもあまってしまったのだ。
これでは後々大変だ。
そう考えた両親は、風の噂で聞いた忍者の養成する忍術学園への入学を決めた。
忍者を養成するからといって、全員が忍者になるために入っているわけではない。
教養のためだけに入る子どもも多い。
小平太の両親もそのつもりだ。
「忍術学園には不思議なことがいっぱいあるよ」
そう言われ、小平太はすぐさま入学を決めた。
桜の畳を歩いて、これからお世話になるという一年ろ組の教室のある建物を見上げた。
すると、その教室の窓に人が立っていた。
小平太が入学の際に渡された一年生の証である水色に井桁模様の制服を着ている。
体格は小平太とほぼ同じか。
小平太は口をポカンと開けた。
その少年のくりっとした瞳は、空と一緒の水色をしていたのだ。
小平太はうずうずと心に湧き上がってくるものを感じた。
いつもの感覚。
いや、それよりももっと激しい。
何故、水色の瞳なのだろうか。
やはり水色に世界が見えているのだろうか。
一度思うと、もう止まらなかった。
小平太は駆け出した。
階段を三段飛ばしに駆け上がり、ついた一年ろ組。
その窓際を見ると、水色の目の少年のほかに、もう一人いた。
二人とも笑っていてとても楽しそうに話している。
先ほどの疼きにさらに何かが圧し掛かり、小平太は勢いのまま二人にタックルをかました。
「楽しそうだな! 私も仲間に入れてくれーーっ!!」
小平太は力が強い。
ひとまわり体格の違う大人だって持ち上げられるほどだ。
そんな小平太にタックルされて、ふっとばないわけがなく。
思い出して欲しい。
少年二人が立っていたのは窓際であり、その上、窓は大きく開けられていた。
「お前、何やってんだよおぉぉーーーっ!!」
三人は落下していた。
繰り返すが、一年ろ組の教室は二階だ。
鍛錬を積んだ忍たまならともかく、入ったばかりの三人の忍たまだ。
落ちてただでは済むまい。
三人は迫り来る衝撃に目をつぶった。
が、いつまでたっても痛みはこない。
もしや、浮遊能力を得たのだろうか。
喜び勇んだ小平太の耳を、大声が貫いた。
「お前達は入学初日から何つう騒ぎを起こしているんだー!!」
ギンギンと、耳がなる。
涙目で顔を上げた小平太は、自分が浮いているのではなく、持ち上げられているということに気がついた。
黒い忍び装束の男が、小平太と、そして一緒に落ちた二人を抱えて、助けてくれていたのだ。
「二度とこんなまねをするんじゃない!」
助けられた三人は、かわりに大きなたんこぶを仲良くこしらえたのだった。
そんな三人が、6年間 同学級であり、同室になるということを知るのは、これからずっと後の話。
<END>
ちなみに、助けてくれたのは野村先生です。